休止2013/01/08

今日電車の中でぼんやり考えているうちに、自分の記録を公開する
必要性に疑問を持ってきた。
日々、その時何に関心をもち、どう思ったか、また思っていたかは、
今後も記録し続けていくつもりだが、このようなブログでのスタイルを
当面休止しようと思う。
多分、再開することはないと思うが、なんとなくネットに流されていく
ことのないような生活スタイルを、心がけたいと改めて思う。

変わらない富士2013/01/07

朝の散歩で見る富士
このところ毎朝、すっきりした日が続いている。
寒さは冬だから仕方がないが、その分素晴らしい富士の姿を拝む
ことができる。写真は昨日の朝の散歩のとき撮ったものである。
肉眼で見ると、はるかに存在感がある。富士の時間の尺度でみて
みれば、現在のよくわからない景気騒ぎは瑣末なものである。

大間のマグロの初値で1億5千万円余りがついたからといって気分
が変わるものでもない。単にカネの大きさでしか表現できないという
のは貧困の極みである。
今日から仕事始めだったが、平常心で1年過ごしていければと願っ
ている。

手段と目的のはき違い2013/01/05

授業の参考に、関西電力のCSRレポートをわりと丁寧に読んでみた。
また、手元にオピニオン広報紙も過去4年分ほどあり、合わせてみて
みた。
福島の原発事故以降もCSRレポートを出し続けていることから、いろ
いろな意味が読み取れる。
一貫した姿勢に自信があるといった好意的な見方もできるが、一方
結局は東電の事故であり、他人ごとにすぎないという本音が表れて
いるといった否定的な見方もできる。

分厚いレポートを見ながら、最終的に残った点は以下である。
・すべて原発ありきが大前提となっている情報ばかりである。
・「安全」という言葉が頻繁に出てくる。
・情報開示、コミュニケーションの必要性を言いつつも、現実的には、
ソーシャルメディアなどネットでの自己中心的な情報開示に過ぎない
部分が目につく。
また、第三者レビューをみてみると、なんと以前企業で同僚だった
学者が書いていたことに驚いたものの、内容はプアなもので、彼が
御用学者になり下がっていたことを悲しく思った。

オピニオンPR誌「躍」も意味深である。
震災が起きた3月号でいったん休刊し、1年あまり後に復刊している。
休刊までは、ゆるい文化誌だったのに対し、復刊後は編集方針が変
わり、原発擁護の内容に切り替わっている。論点は、発電コストで
あり、電力の安定供給が経済を支えているといったことを繰り返し
ているだけである。また、ストレートには書かれていないが、反原
発は「感情論」だと決めつけ、冷静に考えれば原発を含めた発電比
率の正当性に落ち着かせたいという意図がとてもよくわかる。

いずれにしても、CSRレポートでは公共性を強調し、安全な発電と
言いつつも、結局は原発は安全だといった「安全神話」から何ら
抜け出せていない。
再生可能エネルギーに関しては、ほんの一部だけアリバイ的に出さ
れているだけである。
原発という手段がすべてである。都合よくCSRレポートで「安全」と
いう言葉に置き換えられ、目的がぼやけていることがよくわかる。
彼らは、本当に社会的責任という言葉の意味をわかっているのだろ
うか。廃棄物の問題や、将来世代のことなどほとんど論点になって
いない。
本音としては、原発を止めることがいくら損なのか書きたいのだろう
が、体裁を取り繕うメディアには書けるはずもない。

3が日雑感2013/01/03

3が日も、はや過ぎつつある。
予定していた原稿を2本書きあげた以外は、とくに何もしなかった。
午前中からぽかぽかしていたので、庭に犬を出して遊ばせていた。
そして日に2,3回長めの散歩に出た。
ここ2年ほど年賀状をかなり絞ったこともあり、それに割く時間が
大幅に減った。
少し寂しい気もしないではないが、考えてみれば今まで無駄な時間
だったことが改めてわかる。

仕事の流れとしては、1月下旬からは2か月余りの充電期間に入る
ので、本当の意味での正月休みはそちらになるだろう。まるで旧暦
で動いているような感じだ。
最近、正月に映画も観に行かなくなった。テレビでも映画は観ない。
どんどん生活の中で惹きつけられるものが少なくなってきた。年を
とってきたのか、それとも別のことによるのか。
どちらでも良いが、正直な現在の姿である。

政治については、不愉快になるのでばかばかしくて考えたくもない。
第三極など、メディアが政治屋と共謀し盛り上げた幻想的な詐欺
以外の何ものでもない。
今年は、少しでも前向きにと思うが、なかなか難しい。

テレビ幼児化、新聞プア化2013/01/01

年の初めに、マス・メディアのことをかいてみようと思う。
テレビは今年で放送開始60周年になるという。そんなこともあってか、
NHKでは午前中、振り返り番組のようなことをやっていた。
懐かしい番組もあり、その頃自分は幾つぐらいでどんな思いで観てい
たかを、ふと思い出したりしていた。
紅白歌合戦の視聴率が80%越えだとか、東京オリンピックで女子バレ
ーの決勝は85%だったとか、大河ドラマの視聴率がどんなに高かった
かが語られていた。
それが娯楽の多様化などにより、どんどん下がってきたことを嘆く声
もあったようだが、結局のところテレビの本質は娯楽であったことが
改めてよくわかったような気がする。
ニュース報道もしかりである。衝撃的な映像が記憶に残っていたとし
ても、過去への刷り込みでしかなく、懐かしく語る対象でしかない。
現在、テレビは幼児化の極みに達し、行き場を失っているように思う。
AKBやそのビジネスモデルがもてはやされる背景には、みんな馬鹿
になって考えないようにしようという思惑を強く感じている。
それが結局、政治をもエンタメ化しないと持たないという現状につな
がっているようだ。
ネットメディアにしたところで、そのようなメンタリティの手のうちにある
限りは同じであり、より他人志向が加速され、自分で考えない体質が
強化される。

新聞は、近所に出かけたついでに駅の売店で朝日と日経を買って
きた。元日号もいつもと同じ値段なのは驚いたが、ざっと見て正直
印象に残る記事は皆無だった。分厚い本紙や、広告だらけの別冊を
眺めていると、まさに新聞の置かれている現状を如実に表している
ようだ。
どんなに分厚くても、プアな内容であれば、いつもの値段で十分で
ある。逆にこの程度のものなら、いつもと同程度の新聞であればよい
と思った。別冊などいらない。
以前は特集的な記事が、限られてはいても元旦号にはあったように
思う。1月の講義で触れられるネタがあればと思って買ったのだが、
これではプアであることぐらいしか伝えることはない。
値段がいつもと同じということが、少し伝えるバリューはあるかもしれ
ないが、前向きな話にはならないだろう。
いずれにしても、新聞はコンテンツの質の低下が著しく、それが自分
の首を絞めていることがよくわかった。
朝日はトップにソーシャルメディアのことが書かれていたが、コンテン
ツを抜きにして、道具立ての話ばかりしているようでは、なにをかい
わんやである。

テレビの幼児化、新聞のプア化。これが日本のマス・メディアの現状
だろう。
年の初めに文句ばかり言っていると、年中文句を言うことになりそう
だが、来年度もまたマスコミ論やジャーナリズム論の授業は、批判的
なものにならざるを得ない。しょうがないと思うのだが、現実なのだか
ら仕方がない。

穏やかな大晦日2012/12/31

日本海側の人には申し訳ないが、東京では穏やかな大晦日だった。
今年の東京は年内ほとんど雪が降ることもなく、天候だけは平穏な
日々を過ごしたような気がする。
新居では初めての正月を迎えることになるが、今のところ静かで
落ち着いた年末である。

ただ昔感じたような、年末の風情はほとんど残っていない。
正月用に、午前中少しだけ食料を買いにスーパーに行ったのだが、
考えてみればスーパーは元旦だけしか休まないのだから、年末年
始といってもいつもの週末と大差がない。
24時間稼働することが当たり前、宅急便も元旦から荷物が届くような
社会は、本当に望ましいのだろうかと思ってしまう。
ひたすら消費することが目的化する社会は、いったいどこに行き着く
のだろうか。
スマホ1つとってみても、充電ばかり食い、無意味な写真をやりとり
することに意味などないのだろう。スマホを使ってたくさんの無意味な
ことができたからと言って、それだけのことである。

来年に向けて、少しも明るい気持ちになれないことが、自分の目で
見た今の社会の本質である。少しでも「かつてのよきもの」を取り戻す
ことができるかが、これからの目標になりそうな気がする。
実に馬鹿馬鹿しい話だと思うのだが。

一弓2012/12/30

昨晩のNHK「イチロースペシャル」は、なかなか観応えのあるドキュ
メンタリーだった。
年齢を超えて挑戦し続けるトップアスリートのリアルな姿を垣間見た
ように思う。
イチローの言葉の中では「先が見えないからこそ全力が傾けられる」
というものが最も印象に残った。

「未来は既に用意されている」ということなのだろう。
何もしないうちに何か都合のよいことを期待する多くの人と違って、
未来は現在の結果でしかないことをストイックに受け入れている潔さ
こそが、イチローらしさを表している。

そして、さらに印象に残ったのは、一弓という柴犬の存在である。
イチローの孤独な挑戦に対し、メンタルに支えている存在の1つが
愛犬であることに、とても共感できる。そんなシンプルな生き方が
とても魅力的である。

歌の力2012/12/29

最近の年末のテレビはいつもながらつまらない。
観なければよいだけのことだが、自宅で1人作業をしていると、息抜
きやBGMとしてつい流してしまう。そんなとき、最近歌番組を流すこと
が多い。年をとってしまったのか、古い歌謡曲が結構味があってよい。
ただ、頭数と踊りだけで持っている学芸会のような若者の歌は耳触り
である。

ともかく歌は最近のテレビの救いだと思う。
テレビが、邪魔にならない程度に程よい距離にあった時代が懐かしい。
だからこそ年末は何かしらわくわくしたのだろう。
NHK朝ドラもついに見なくなってしまったし、ドラマは「相棒」ぐらいだろ
うか。ドキュメンタリーは仕事のネタとして観るようにしている。
テレビも新聞と同様、付き合い方が随分様変わりしてしまった。
テレビ自体も変わってしまったのだろうし、自分も変わったのだろう。

言論統制社会2012/12/28

国民を管理の対象としかとらえられない国は、もはや救いはない。
以下のニュースを見ながら、世界の迷惑国家も持たないところまで
来ている感がある。
国際社会に受け入れられないどころか、国として維持しうるのか、
某国はそんなレベルをさまよっていることを改めて思う。
日本としては、いかに身を守るかを本気で考えなければならない
ところに来ていると思わざるを得ない。
その意味で、国家レベルの危機管理に注力する必要性があるだろう。
防衛力の話をすると、すわ戦争だとか憲法改悪だとか騒ぐ層が必ず
いるが、某国を見ていると、そんな悠長なことは言っていられない気
がするのはなぜだろうか。

中国、ネット実名を義務化 市民の言論に影響も
中国の国会に当たる全国人民代表大会(全人代)常務委員会は28日、
インターネットユーザーの「実名登録制」など、ネットの管理強化の義務
化を決定した。個人情報の保護が目的だが、権力の監視役を担って
いる「ネット世論」を萎縮させかねないとの懸念が出ている。
「ネット情報保護の強化に関する決定」によると、ネット上に企業の顧客
名簿が流出したり、個人のプライバシーが暴露されたりする問題が
深刻化しているとして、ユーザーの身元管理を強化するため、メール
やサイトを利用する際、実名で登録することを義務づけた。今後、関連
法規が整備される見通しだ。[asahi.com 2012年12月28日20時4分]

ゴジラの休息2012/12/28

去就が気になっていた松井選手だが、ついに引退を表明した。
まだ30代であることや活躍する場がMLBだけでないことを考えると
潔すぎる気がしないではない。
松井選手のMLBでの軌跡は、MLBの光と影そのものである。
以下のニュースは、あまりにあっさりしすぎている気がするものの、
これがアメリカという社会なのだろう。

松井選手については同郷ということもあり、イチロー選手よりも思い
入れの強い存在だったが、彼らしい生き方は北陸の地で育まれた
性を強く感じてしまう。
これからの別の道での新たな活躍に期待しながら、ゴジラの休息を
見守りたいと思う。

米メディアも報道、日米での好成績たたえる
米メディアも松井の引退表明を報道した。
大リーグ公式サイトでは「スラッガーの松井が引退表明」との見出し
で談話などを速報。日米での好成績をたたえ「力強いスイングで
『ゴジラ』の異名を取った」などと伝えた。
ニューヨーク・デーリーニューズ紙(電子版)は記者が会見に訪れ、
大リーグ専門局のMLBネットワークでも記者会見とほぼ同時刻に
引退表明が伝えられた。(共同)
[産経ニュース 2012.12.28 10:45]